寒中お見舞い申し上げます。
旧年、祖父が逝去しましたので、新年の挨拶は控えさせて頂きます。
今年もよろしくお願いします。
※東京出張へ向かう新幹線の車中から撮影した富士山です。
いつも私のブログを応援して下さっている皆様、年末の挨拶を怠り、大変申し訳ありませんでした。
今後とも変わらず応援して頂けると嬉しいです。
昨年は、改めて「生命の重み」について考えさせられる一年でした。
新年の始まりだからこそ、この命題と向き合って考えたいと思います。
日本中が悲しみに包まれた東日本大震災…私も、父方の叔父一家や学生時代の友人などが被災し、
微力ですが支援物資を送る為に奔走しました。
宮城県仙台市在住の父方の叔父は、出張で宮城県塩釜市に赴いていた際、
社用車で海岸沿いを移動中に震災に遭遇しました。
津波に巻き込まれ、車の窓ガラスを割ってがれきだらけの濁流の中に泳ぎ出し、
奇跡的に鉄塔につかまり助かったそうです。
ケガを負った叔父は危機の連続でしたが、なんとか一難を乗り越えました。
叔父と数日間連絡が取れずにいた叔母とは、タイミングが良かったのか私が最も早く連絡を取ることが
出来ました。
『怖かった。みんなと連絡が取れない。生きてるだろうか。どうしよう。』、、、と
受話器の向こうで泣き崩れる叔母の声を忘れることは出来ません。
宮城県仙台市の海岸沿いに住んでいた従姉妹夫婦は、住んでいたマンションが半壊。
柱と天井、床がすべてずれてしまい、倒壊の危険があるということで必要な物を取りに入る事すら
出来ませんでした。
何が必要かを従姉妹に電話で聞いた時、心配をかけないよう精いっぱい明るく話していた彼女が、
私にこう言いました。
『家族全員命が助かっただけありがたいし、もっと大変で悲しい思いをしている人がたくさんいるのに、
こんな事我がままなのはわかってるんだけど…ちょっとでいいから、飴でもいいから、甘い物が食べたい。』
携帯電話の充電器、乾電池、カップラーメン、無洗米、缶詰、レトルト食品、医薬品、ドライシャンプー、
ウエットティッシュ、下着、生理用品、トイレットペーパー、紙皿、コップ、箸…
詰められるだけ詰め込んだ段ボール箱の隙間を、小分けになった飴やチョコレート、小さなドーナツ等で
びっしりと埋めました。
震災直後から友人・知人にも協力してもらって集めた支援物資を箱に詰めている間、
やりどころのない悲しさで涙が止まらなかった事を覚えています。
北海道出身の私にとって、東北は親戚や友人知人が多く住む縁深い土地です。
何度も訪れて目に馴染んだ美しい街並みが壊れゆく様子は、悲し過ぎる夢のようで…絶対に忘れる事が
出来ません。
そこで失われた多くのかけがえのない命、大切に積み重ねられてきた生活、その重みも。
父方の祖父が長い闘病を終え旅立ったことも、私に「生命の重み」を問うてきました。
祖父が私に最期にかけてくれた言葉は、『頑張れ』でした。
文字通り目に入れても痛くないほど初孫の私を可愛がってくれた祖父。
豪快で働き者でたくましかった祖父の手は、最期は華奢過ぎるほど細く白く痩せていました。
故郷を離れて暮らす事を決めたのは自分なのに、覚悟は十二分にしたつもりなのに…
「離れて暮らすということ」、「自分に出来ること」、「自分がすべきこと」…未熟な私は、いまだ模索中です。
こんな私ですが、今年は35歳になります。
両親の「娘」の私、主人の「妻」である私、仕事に励む「社会の一員」としての私、良き友人と共にいる私…
そこに「母」としての私の姿を思い描くようになりました。
「命の重み」を繊細に感じながら、「守る側」「頼られる側」へ責任を持ってシフト出来たらと思います。
そして、毎日を丁寧に紡いでいきたいと思います。